港区古川アート散策 (2021)

「偶発的な都市空間:港区古川アート散策」米国アジア研究協会学会発表(2021.3.24)

 

「偶発的な都市空間:古川沿いの屋外アート散策」と題して、米国アジア研究協会学会にて、弊社のデザイン・スタディを発表しました。私たちの事務所にも近く所在する古川沿いに点在する空間を、新たなパブリック・スペースとして見直してみました。

古川の大部分は高架高速道路に覆われ、暗く、人を寄せ付けない雰囲気です。また、主要な住宅地域である麻布と白金間の道路交通や歩行者の流れを古川が遮っているがために、この2つの地区は陸の孤島となってしまっているようです。

ご紹介するのは、それぞれの「場」を詳細に分析した結果ではありません。また、提案たる提案を気取るつもりもありません。あくまでも、着想段階の案をかいつまんでお見せするものです。

古川沿いに、充分に活用されることなく放置されている場を6カ所ほど特定しました。これらのサイトには、狭い小道、小さい橋、高架高速道路、「こども」公園、河川堤防、無秩序な凹凸、管理の行き届いていない植生...など、個々の都市的要素事象が交差したり組み合わさった結果、その場しのぎ以上の近接性や可能性が見て取れます。

私たちは、これらを「偶発的」な場と呼ぶことにしました。既存の都市インフラをネットワーク的に捉え、新しい集いの場を、点をつなぐように想像しました。また、これら6つの場は、展示会場を歩いてめぐる散策コースを構成することも意図して選定しました。今回、各サイトの紹介にあたっては、場所が場所だけに、地名や住所ではなく、緯度経度で示しています。

お見せするデザインは、比較的容易に作ったり解体したりできるよう、主に低予算で仮設的なものとしました。この考えは、現在の古川沿いの多くに見られる、儚いような、変化し続けているような特色を映し出しているとも言えます。

1. 詩の川/川の詩

二之橋の袂の三角コーナーから斜めに見下ろす視界に、光と影、面と凸凹が織り交ざった帯状の風景を映し出します。発泡材にステンレスを貼り合わせた文字ブロックを、古川上空の高架高速道路から吊り下げます。同じものを真下の堤防にも貼り付けます。川面に反射したアルファベットが、ジャック・プレヴェールの詩「セーヌがパリと出会った」を浮かび上がらせます。(二之橋付近)

2. こどもコンサート広場

公園では、誰もいない砂場がかえって目立ちます。公園横の児童遊園橋が閑静な三田地区と賑やかな麻布通りとを繋いでいることに鑑み、この砂場を道案内の重要拠点として、人目を引くランドマークを構築することを考えました。砂場を台に、子どもの身体のスケールに合わせた木板をハチの巣(ハニカム)状に組み合わせ設置し、「こども公園」本来の意味を蘇らせます。(南麻布一丁目児童遊園内)

3. ナイトギャラリー

場に活気を取り戻すために、整然と敷き詰められた敷石に注目しました。暗闇で光る蛍光テープを細く切って敷石の継ぎ目に沿って貼り付けます。この視覚効果によって歩行者をこの広場に惹き付け、親しんでもらおうという狙いです。(古川橋児童遊園内)

4. 音響とアートの展示ストリート

四の橋商店街は四之橋から、主要道路である305号線まで約200メートルにわたり続きます。路上には、上部にスピーカーを取り付けた円柱がところどころ並んでいます。ここでは、音響とアートを取り入れながら作品を紹介する「ミュージアムバナー」を掲揚することを考えました。商店街の通り道全長が線的な展示場となります。(四の橋商店街内)

5. マッピングシアター


既存の劇場型の休憩スペース正面のコンクリートブロックと植生は、展示のための壁になると考えました。この場の特異性を絵の具のパレットと見立てて取り入れたデザインです。光投影のショーなどのイベントをここで開催することにより、分断されている麻布地区と白金地区を結び付けます。(白金公園内)

6. 空中ギャラリー

軽量ボードを吊り下げてアートを展示できる暫定的な足場を組み立てます。150m以上続くこの細長いスペースを通る散策者は、下からアートを見上げて鑑賞します。身体をもって、場自体とアートとをじっくりと体験することができます。(三光児童公園内)

おわりに

私たちは、都市空間の「一時性」に興味を抱きました。そして、散策者が古川そのままの良さを再確認し、川沿いを楽しく散策したり、集いの場として使えるような空間のありかたとは何か、既存の用途や分類、境界線を超えて、その「場」をありのまま活かすデザインは可能かーーそんな風に思いを巡らせました。

川沿いのインフラは管轄や用途、ステークホルダーの利権が複雑であり、当然のことながら、今回お見せしたスタディがそのまま実現するとは考えていません。ひとまずは、古川という場の不完全性や偶発性を肯定することで、新なパブリックスペースのあり方として何らかの可能性がある、と考えるがままに、絵におこしました。